- 昭和22年(1947)
第1回産業復興発明展
(現あいち少年少女創意くふう展) - 昭和29年(1954)
第1回全国優良機械展 - 昭和29年(1954)
名古屋テレビ塔の誕生 - 昭和31年(1956)
第1回名古屋商業感謝祭
(現な・ご・や商業フェスタ) - 昭和32年(1957)
地下鉄の開通 - 昭和33年(1958)
名古屋空港の整備・促進 - 昭和34年~(1959~)
海外商工会議所との姉妹提携 - 昭和34年(1959)
伊勢湾台風と復旧対策本部の設置 - 昭和35年~(1960~)
経営改善普及事業の開始と支部の設置 - 昭和42年(1967)
白川町の会議所(現所屋)が完成 - 昭和52年(1977)
中華人民共和国展覧会 - 昭和56年(1981)
本所創立100周年記念事業 - 昭和60年(1985)
ワールドインポートフェア
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昭和40年(1965)
名神高速道路の全線開通
大きく出遅れた日本の高速道路
わが国では、昭和18年に内務省が全国自動車国道計画を策定したものの、建設に向けての本格的な動きは戦後の高度成長期に持ち越されました。
「日本の道路は信じられないほど悪い。工業国であってこれほど完全に道路を無視してきた国は、日本以外にはちょっと見当たらない」。昭和31年5月、建設省が名神高速道路の総合的な調査のために招聘したアメリカのワトキンス調査団は、その報告書(ワトキンス・レポート)の冒頭で当時の日本の道路政策をこのように酷評しました。確かに日本の道路は、欧米に比べて大きく遅れており、国道でさえ舗装率は約25%、自動車が自由に往来できる道路は約半分に過ぎませんでした。
高速道路の建設促進に向けて
昭和31年10月、本所は、堀川建設政務次官、岸日本道路公団総裁等を迎え、「名古屋・神戸間高速道路説明会」を開催し、名古屋側の早期着工やインターチェンジの設置箇所などの要望を行ないました。
名神高速道路は、昭和38年7月に栗東IC~尼崎IC間が初めて開通。2年後の昭和40年7月に小牧IC~西宮IC間の全線が開通しました。
本所は、昭和36年6月に名古屋で開催された交通閣僚懇談会において、鈴木亨市本所会頭から「東名高速道路の東西同時着工」を要望するなど、一貫して高規格幹線道路網の整備に積極的に取り組んでおります。
名神高速道路地図(名古屋商工会議所月報昭和36年3月号掲載)
完成間近の一宮IC
(写真提供:中日本高速道路株式会社)
1964年9月6日、一宮IC開局当時の様子。一宮ICへ一番乗りした方に、花束が贈られました
(写真提供:中日本高速道路株式会社)