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昭和9年(1934)
港の名古屋飛行場
名古屋を近代都市に
『名古屋もこれから、だんだん立派になっていくだろうが、それには足りないものが3つある。ゴルフ場とホテル、それに飛行場だ』
伊藤次郎左衞門(祐民)本所会頭は、昭和2年のこの発言に見られるように、名古屋を近代都市とするためには「飛行場」の建設が不可欠と考えておりました。
本所は、飛行場の実現に向け、政府・県・市への陳情、さらには航空会社に旅客機の寄港を要請するなど、積極的な活動を展開。昭和9年には「名古屋国際航空協会」を組織、事務所を本所に置き、県市協力のもとに議論を進めてきました。一から飛行場を建設するのには相当の時間がかかるとして、当時埋め立てが終わったばかりの名古屋港第10号地を、「仮飛行場」として使用することが決定。こうして昭和9年10月、名古屋"仮"飛行場は念願の開場式を迎え、地元財界人400名が集まり、華々しく開場しました。
幻の「港の飛行場」
「本飛行場」に決定した第11号地が完成する昭和16年までの間、第10号地の名古屋"仮"飛行場は、航空機メーカーの試験場、日本航空輸送株式会社(後の大日本航空株式会社)の東京-大阪線の中継地として使用されておりました。
同年10月にようやく開設された第11号地の名古屋飛行場は、始めのうちは公共用の飛行場として使用されておりましたが、太平洋戦争の激化によって大日本航空株式会社は撤退、終戦まで軍用機メーカーの試験飛行場や空輸基地として使われることとなりました。
名古屋飛行場
(写真提供:名古屋港管理組合)
昭和9年9月30日の名古屋毎日新聞。
最初に飛んだ飛行機の乗客は、当時の岡谷会頭のご令嬢でした
昭和9年10月2日の名古屋毎日新聞。
記事によれば、名古屋飛行場は「国際飛行場」と紹介されています